現実世界とTwitterの「応援する」の違いについて考えてみた

労務のしごと

自分の中の根っこのひとつ、「応援したい」という気持ち

こんにちは。

社労士試験4回目で合格でき、今は現役労務ワーカーとして働いている11ぴきのぺんぎんです。

私は、社労士試験に合格してから1年ほど経った2019年1月に、この「労務ワーカー&社労士受験生応援ブログ」を始めました。

◆どうしてブログを始めたか、なぜ労務ワーカー&社労士受験生応援ブログにしたかの過去記事はこちら↓です。

一番最初に書いた記事で、どうやったらPCでもスマホでも読みやすいのか試行錯誤した結果が、改行位置に表れています。

ほんとに試行錯誤だったな…。

この記事にも書いたとおり、自分の根っこのひとつとして、「頑張っている人を応援したい」という気持ちがずっとあります。

実際の私は、体力もなく、気持ちのキャパも狭く、人付き合いも悪いし、週の1日は巣ごもり(冬眠中の熊がほら穴に入っているイメージ)しないと心身ともにもたないようなやつなので、実際に応援するってことは、かなり自分ではハードルの高いことです。

それでも、なぜ応援したいのか、応援するってなんだろうと考えるきっかけがあったので、今回はそのことについて記事にしてみたいと思います。

それでは、記事に入ります。

Cotreeさんのカウンセリングで気づいた応援のかたち

今回、私が「応援すること」について考えるきっかけになったのは、定期的に受けているCotreeさんのカウンセリングでの一場面からでした。

オンラインカウンセリングなら「cotree」
cotree(コトリー)は、24時間どこにいても、年齢や性別を問わず誰でも匿名で利用できるオンライン相談サービスです。ビデオや電話・テキストで相談可能。

また、Cotreeさんのカウンセリングサービスについては、いつか記事にまとめたいと思っていますが、私は「グラグラしない自分になる」という目的で、月に1回ペースでカウンセリングを受けています。

カウンセリングでは、前回のカウンセリングから今までの間に起きた悩んだことを話したり、これからの目標にむかってやることの整理、なにをしていったらいいかの相談…、というよりは、話を聴いてもらって、私の中から引き出してもらうということをやっています。

その中で、会話の中で、私が、このような相談をしました。

「Twitterでの応援は、すんなりできるのに、現実の職場で応援ってなんだか難しいです。その違いってなんなんでしょう…。」

と。

なぜこんな質問をしたのかというと、

「Twitterの中では、純粋な気持ちで応援できるのに、現実世界ではうまく応援できない…。

これって、現実をないがしろにしているってことなのかな…。」

というような、自分の中で罪悪感のようなものが少しあったからなのです。

そこで、カウンセラーさんに引き出してもらったことが、私にとって目からウロコでした。

応援する=直接なにかをできるわけではない

その時、カウンセラーさんは、このようなことをおっしゃいました。

「Twitterで社労士受験生を応援しても、実際に試験を受けるのは受験生のみなさんで、そこを代わってあげることはできないですよね。」

「でも、仕事場だと、応援するということで、直接手を出すこともできますよね。

でも、それが応援になるかといえば、必ずしもそうならない場合もありますよね。」

私は、これを聞いたとき、

「本当だ…!!応援、応援といっても私、社労士受験生のみなさんに直接なにも手助けすることはできないんだ…!!」

ということに、目からウロコがボロボロ落ちました。

めっちゃくち当たり前のことなんですけどね(゚Д゚;)

そうなんです、私はカリスマ先生のように、有益なまとめを提供できるわけでもないし、自分の経験はすでにブログに書いてしまった。

それでも、応援したいと思いが湧き続けること、そしてそんな中で「気持ちが少し楽になった」と言ってもらえること。

これってどういうことなんだろう…と考えたのです。

リアルな世界(職場など)での応援とTwitterでの応援の違い

考えてみると、職場での応援が難しいと感じる理由として、相手の価値観や目的がわかりずらいということがあります。

Twitterをみていると、その人が今なにを頑張っていて、どんなことにつまずきながら前に進もうとしているのかが、ツイートから読み取れることが多いです。

でも、現実の職場では、仕事をめちゃくちゃ頑張りたい人もいれば、言われたことを無事にこなしたい、それだけで十分という人もいます。

それが、どっちがいい悪いではないのです。

でも、そこの価値感が異なる相手に、異なった価値観を求めることはお互いに不幸なことではないかと思います。

だからこそ、自分としては応援したつもりでも、相手にとってプレッシャーになってしまったり、自分としても相手の姿勢に気持ちが落ち込んでしまう…ということがあるのです。

そして、前述したとおり、応援するということが、目の前に相手がいると、代わりにやってあげることができてしまいます

でも、それは、本人にとっても、応援しようとしている人にとっても、最適解とならず、お互いをより苦しめる可能性もあります。

なので、職場で応援するこということは、やはり私にとってはTwitterよりは、かなりハードルが高いものに感じているのです。

簿記の勉強が終わったら、このへんのことももっと勉強したいな…。

なぜTwitterで応援したいと思うのか

では、なぜ私は、Twitterで応援したいと思うのでしょうか。

それは、やはりそこに、誰かの「頑張りたい」という気持ちを感じるからだと思います。

私は前述したとおり、元々心のキャパシティが狭いし、容量が多くないということは、ずっと昔から感じていることです。

なので自分はきっと全員に優しくできない、それでも、大切にしたいと思える人・ものだけには、なんとか気持ちがあらわせるような自分でいようと、10代のときに決めました。

それが、自分の心を守る方法でもあったのです。

なので、世間の長男・長女のみなさんで、本当にいろんな人に面倒見がいい方に出会うと、心から尊敬します。

なかなか同じようにできない私が、それでも自分の心が動いた人・ものに対しては、少ない心の容量でも、なんとか応援したいのです。

どんなに頑張っていても、現実世界でほめてもらえる、認めてもらえるってあまりないことだし、もしあるとすれば、本当にそれは素敵な環境だと思います。

でも、だからこそ、Twitterという、一部の側面しか知らないからこそ、やっぱり頑張っている人には「すごい!めっちゃがんばってる!!」って言いたいし、落ち込んでいる人には、どう声をかけていいかわからないけど、「見ているよ」の気持ちをこめて、本当はいいねじゃないけど、いいねを押したいのです。

Twitterの中では、直接顔をみることはできないし、あくまで文字だけのやりとりになります。

だからこそ、できるだけほめあっていきたい。

ちょっと考えが違うという人がいたら、そっとしておく。少し距離を置いてみる。

それでいいのではないかと思っています。

何もできないことは応援にならないのか

Twitterで応援するといっても、それは自分の好きなタイミング、自分の好きなときに気まぐれでなにかをツイートするだけです。

そこに義務感が発生すれば、それは純粋な応援ではなくなるし、自分にとっても苦しいものになっていってしまいます。

そのきまぐれなツイートは、応援になるのでしょうか。

私は、それでも応援になるということを、Twitter内のみなさんに教えてもらった気がします。

なぜなら、私は実際にもらったツイートで、心が励まされたり、よし頑張ろう!って思って、息を吹き返した場面があるからです。

例えそれが一瞬で、また現実に飲まれてしまっても、その一瞬があるかないかは、大きな違いではないでしょうか。

もちろん、現実の世界で、そんな瞬間があるのが一番かもしれません。

でも、このコロナ禍で、親しい人と会える機会も減ってしまっている環境、そして現実はなかなか厳しくもあります。

なので、せめてここだけでも温かい環境でいたい…と思っています。

現実と、Twitterと、二次元と、自分のうまいバランスを見つけられたら最高ですよね(^^)

少しでも前進しようとする気持ちは本当に尊い

私は日々、社労士受験生や、そのほかの資格の受験生、環境に恵まれない中でも自分なりの仕事をしようと奮闘している人、子育てや家事を頑張っている人などなど、全然ツイートは追いきれてませんが、本当にみなさん頑張っているなぁと思っています。

思い通りにならないことや、自分のダメさ加減に嫌になりながらも、それでも一歩ずつ進もうとする日々は、本当に尊いと思っています。

尊いって言葉だけじゃうまく表せないな…。

なので、挑戦していくみなさんの後姿を、これからも自分のキャパシティのなかで、きまぐれ(ごめんなさい)にひっそりと、応援させていただこうと思っています。

もう、日本全国で聴いたことがない人のほうが少数派だと思いますが、紅蓮華で刺さる歌詞をここに引用させていただきます。

逸材の花より 挑み続け咲いた一輪が美しい

乱暴に敷き詰められた トゲだらけの道も 

本気の僕だけに現れるから 乗り越えてみせるよ

紅蓮華 LiSA 作詞:LiSA より引用
LiSA – 紅蓮華 / THE FIRST TAKE

私は、畑道をウォーキングしながら、ここを大熱唱しています。いいの!田舎だから!!

不格好でも、うまくできなくて批判されても、笑われても、挑戦しようとする姿は、本当に尊いです。

そして、次に紹介する、サンボマスターの「輝きだして走ってく」からは、誰かが「自分はできる!」と信じてくれることの大きさを感じました。

自分が一番自分を信じられないとき、できると信じてくれている人がいるということを、プレッシャーではなく、力に変えていけるといいですよね(^^)

感謝をこめて。

サンボマスター / 輝きだして走ってく MUSIC VIDEO

相変わらず青くさい記事しかかけなくて申し訳ありませんが、こうやって気持ちを言語化していくことで、同じような気持ちの人がいたら、少し肩の力がぬけるといいな。

これからもよろしくお願いします。

まとめ

  • Cotreeさんのカウンセリングきっかけで「応援する」ということを考えてみた
  • 自分は元々キャパシティが狭く、全方向で応援はできない
  • それでも応援したい
  • 現実での応援は、相手の価値観がわからないと難しい
  • Twitterでの応援から、本当に力をもらっている
  • これからもきまぐれにこっそり応援させてください
タイトルとURLをコピーしました