10年以上勤務した会社を辞めることになりました
こんにちは。
労務ワーカーであり、社労士受験合格者の11ぴきのぺんぎんです。
久しぶりの記事の記事すぎて、かえってなんだかサクサク書けていることが不思議です(^^;)
このたび、10年以上勤務した会社を辞めることになりました。
退職を決めるまでも、そして決めてからも、いろんな葛藤はありました。
その感情については、また後日ということで…。(まだ、うまくまとめられる自信がない)
今回は、退職を決めた自分が、労務ワーカーとして、今どんなことを感じているか、書き残してみたいと思います。
とくに有益なことはないので、それでもよければ、少しお付き合いいただければ嬉しいです。
労務ワーカーとしてどんなことを感じてきたか
「あの人にはなれない」コンプレックスばかりのスタート
私が労務ワーカーになったきっかけは、他部署からの異動でした。
それまでは、全然労務の仕事とは関係ない部署で働いていましたが、人間関係で悩んで異動希望を出したところ、運よく今の部署に異動することになりました。
その当時のことは、この過去記事でも書いてあります。
ここの部署には、ずっと労務の仕事をしていた先輩がいました。
その先輩は、話していると誰もが心を開き、癒しのような存在の方でした。
しかも、自分で出産や子育ても経験しているので、その面でも、社員のみなさんの相談にも乗れる。
その一方、私は人の話を聴くことが苦手で、子育て経験もない。
私なんかが労務にいても、誰の相談にも乗れない。
その先輩のように、相談したいと思える存在になれる気は全くしなくて、先輩の隣にいるのがしんどいときが多かったです。
こんな自分でも役に立てると思えたのは「社労士」の勉強をしたから
そんな私が、唯一できると思ったことが、知識をつけることでした。
経験や人柄がないなら、せめて正確な知識で答えることができるようになれば、自分もここにいていいと思える、そう思ったのです。
それが、社労士試験の勉強をはじめた、ひとつの理由でした。
社労士試験の合格までには、4年かかりましたが、そのおかげで社員のみなさんの質問にだいぶ正確に応えることができるようになりました。
わからないときは、正直にわからないと伝え、自分なりに調べて答える。
行政などに聞くときも、ひるまず、粘り強く、わかるまで質問をする。
それを続けていくうちに、社員のみなさんからも「頼りにしている」という言葉をかけてもらえるようになりました。
「しんどい・逃げたい」ことが、少しずつ信頼をつくってくれる
私は、労務の仕事をしながら、同時並行で、会社全体の個人情報の運用のとりまとめもやっていました。
ただ、その担当になるまでは、私は部署の個人情報の担当すらやったことがなく。
そこから、一気に社内の人が「質問してくる」ポジションになりました。
始めのころは、聞かれても全くわからないし、嫌で嫌でしょうがなかったです。
でも、研修にいったり、本を読んだりして、理解できるようになると、わからないことは、楽しいことに変わりました。
そして、自分なりに工夫したり、社員のみなさんに説明したりしているうちに、「個人情報といえばぺんぎんさん」と言われることが多くなりました。
そこでわかったことがあります。
- みんな、わからないものは怖い
- 日常業務から遠いことは、余計にわからないし、めんどくさい
- みんながわからないもの・めんどくさいものは、私も怖いしイヤ(逃げたい)
- でも、一回腹をくくって、スイッチが入れれば、自分はできる
- みんながわからない、めんどくさいものを、わかりやすくしたり、答えることで、少しずつ信頼は積み重なる
これがわかったことは、私にとって大きな経験でした。
個人情報の担当以外にも、労務の仕事でも、自分にとって、大きな山はいくつもありました。
無期転換、マイナンバー対応、勤怠システムの導入、新型コロナウイルス感染症による休業や雇用調整助成金対応などなど…。
勤怠システムの導入のときは、生まれて初めて顎関節症になってマウスピースも作りました。
でも、マウスピースでもよくならなかったのに、とある上司の一言で、翌日から一切痛みがなくなるという経験もしました。
そして、この当時は、鬼滅の刃の無限列車編が公開されていて、何回もひとりで観に行っては、煉獄さんに背中を押してもらっていました。
は!脱線した!!
でも、どんな問題であっても、構造はいつも同じだったと、書いていて気づきました。
怖い、やりたくないをなんとか乗り越えた先に、誰かの信頼を得られる。
その経験は、私にとって大きな財産です。
楽しいキラキラよりも、圧倒的に無力感のほうが大きかった
労務の仕事をしていく中で、達成感もありましたが、振り返れば、キラキラしていない無力感を感じることの方が多かったかもしれません。
労務ワーカーは、ただの一社員です。
自分がたくさん勉強して、こっちのほうが会社にとって有益だと思ったとしても、それが採用されることのほうが少ないかもしれません。
誰かの相談や、誰かの苦しさを聴くたびに、正解がわからず、無力感を感じました。
もっと組織を、育成を、と思っても、なかなかそれが形にならず。
私は、社員のみなさんの不便を少し減らせたかもしれないけれど、働くことを楽しくすることはできなかったと、自分では思っています。
何をしたら、社員のみなさんが、笑顔で働けたのか。
私はきっと、これからもその答えを探し続けると思います。
無力でも、数パーセントは、誰かのなにかになったかもしれない
今回の退職にあたり、「相談してくれたけど、何も役に立てなかったな…」と自分が思っていた社員さんのひとりが、声をかけてくれました。
その当時、数回メールのやりとりをしただけで、その後の相談はなく、その社員さんは、自分で決断していきました。
それ以降、やりとりはなかったのに、退職をきいて、わざわざ呼び出してくれて、
「あのときは本当にありがとうございました」
と言ってくださいました。
こうやって書くと、自己陶酔みたいになってしまいますが、自分が無力だと思っていても、その中の数パーセントは、誰かの役に立っていたのかと思うと、本当に嬉しかったです。
労務ワーカーは孤独。だからこそ結束を
労務の仕事は、管理側の仕事です。
けれど、社内は圧倒的に現場の社員さんが多く、労務の伝えることは、大抵がめんどうなことが多いはずです。
だから、同じ社員であっても、労務ワーカーが抱える苦しさは、ほかの社員さんには理解されないことが多いかもしれません。
だからこそ、同じ部署の中では、情報や感情を共有し合い、お互いを支えることがとても大切だと思います。
「こんなこと言われちゃった」
そんなことを聞いてもらうだけで、心はだいぶ救われます。
それが、外部の社労士の先生でも、Twitterで知り合った労務ワーカーのみなさんでも、構わないと思います。
一人で戦わない。
それは、労務ワーカーにとっては、とても大切なことだと思っています。
それを続けてくれた上司、同僚のみなさんには、とても感謝しています。
業者のみなさんも、戦友
今回の退職にあたり、お付き合いをしていた業者の方々に、ご挨拶をしました。
業者のみなさんとは、お互いに胃が痛くなるような思いでやりとりをしたことも、何回もあります。
その中で、共に乗り越えてきたという事実は、私の中で大切な記憶です。
退職を伝え、
「あのときは、本当にありがとうございました。」
と伝えたところ、業者の方から、
「その出来事を覚えていてくれていて嬉しいです。」
と、言っていただきました。
また、別の業者さんは、退職を報告したところ、会いに来てくれて、その方の仕事に関する想いなどを始めて話してくださいました。
私は、その営業さんがいてくれたからこそ、完成できた仕事があったので、
「おかげで、あのとき無事形にすることができました。」
と伝えたところ、そんな風に言ってもらったのは初めてだとおっしゃっていました。
業者のみなさんとは、あくまで顧客と、仕事を受ける側という関係なのかもしれません。
けれど、そこには必ず「人」がいます。
立場は違えど、苦労を共有し、共に頑張ったと言い合えたことが、とても嬉しい記憶になりました。
自分が持っていかれるものは、感情と経験だけ
会社を退職すれば、そこで作ってきたもので、自分が持って帰れるものはありません。
でも、「これを頑張れた」という経験や、楽しいこと、苦いことどちらも、そのとき感じた「気持ち」は、自分の中からは消えません。
自分の経験が役に立つことなんてなくて、もしかしたら、邪魔になるかもしれません。
それでも、場面場面で、出会った人たちがかけてくれた言葉、そのときの表情が、きっと自分の基礎となってくれる、そんな風に思っています。
「覚えていてくれたんですね」という笑顔
今回退職にあたり、声をかけてくれた方とお話しするときに、自然とその人と自分のエピソードが頭に浮かびました。
あのとき、こんなミスしちゃって、迷惑かけたな。
仕事外で、こんなことが好きだっていってたな。
あのとき、つらそうだったな。
不思議と、そんなことがパッと浮かびます。
思いついたままに話すと、
「そんな前のこと、覚えていてくれたんですね。」
と、何人かの方にいってもらえました。
私は比較的、いいことも悪いことも、頭に残ってしまって、そのあとも、あれこれ考えてしまう性格です。
それに疲れて、「こんな自分が嫌だな…」と思うことも、しょっちゅうです。
だけど、「覚えている」ということは、悪いことだけではないのだなと思えました。
そして、これからもそれを言語化し、大切な気持ちは伝えていきたいと思っています。
これからのこと
今の会社を退職したら、いろんな環境が、ガラリと変わります。
小学校、中学校、大学と、いつだって入学した時は、5月くらいまでは、つらくてつらくてしょうがありませんでした。
そのくらい、環境が変わることは怖いです。
でも、自分で先に進むと、決めました。
2018年に社労士を合格してから、もうすぐ5年が経とうとしています。
合格して、Twitterで11ぴきのぺんぎんアカウントを作って、ブログをはじめて…。
ずっと、何をしたらいいか、何をしたいのか、もがいていたし、今も、もがいています。
社労士に合格して、転職というと、一見サクセスストーリーのように受け取ってくれる人もいます。
でも、今までだって、労務の仕事はキラキラはしていませんでした。
それは、きっとこれからも、一緒でしょう。
でも私は、今の会社のみなさんに背中を押してもらいながら、新しい船に乗ります。
新しい船で、一緒に船を漕げることを、成長痛とともに、楽しめたらいいなと思っています。
うまくいくかどうかも、やってみなければわかりません。
でも、決めたら、進む、です。
これからどんな記事を書いていくかはわかりませんが、「こんなんでもいいよ」という方は、これからもお付き合いいただければ嬉しいです。
では~!
まとめ
- 会社を退職することになりました
- 怖い、めんどくさいを乗り越えた先に、少しずつ信頼が増えていくのかも
- 業者さんと、「頑張った」と言い合えたことが嬉しかった
- 孤独になりがちな労務の仕事を、支えてくれた上司・同僚に感謝
- 「覚えていること」を財産として、前へ
- 新しい環境は怖いけど、やってみます